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大人の音楽レッスン、作曲学んで創る力を磨いてやりがいを

弾ける、歌える、その先は曲作りを学ぼう渡利辺祥楽舎 0721-28-8000

ステキで素晴らしい曲作りたい、との意欲を伸ばす

趣旨音楽を続けてきてよかった!…と実感する機会を増やしましょう

どのような時代にも、心豊かに人生に楽しみ、幸せを感じる生き方を

心なじむ幸せイメージ

 「時代の変化に適応しながら、柔軟な考えと判断を持って、しっかり生き抜かねば!」…今の時代、多くの人々がヒシヒシと思っていることです。心豊かに楽しい気分で生きるために、「自分にとってコレがあれば、満足して人生に生きがいを感じる」と思えることをしぼり込み、その手ごたえと充実感をじっくり実感することへと関心を向ける人は増えているでしょう。
 多種多様の価値観や産業や文化が混在する今21世紀の時代だからこそ、選択すべきことは、「20世紀には存在したが、21世紀には衰退して、22世紀にはもう存在しないだろう」ということではなく、「20世紀には未だ黎明期だったが、21世紀には成長と発展が期待できること」や「18世紀にも19世紀にも20世紀にも存在し続けてきたし、21世紀になっても、22世紀になっても、その時代なりに姿形をふさわしく変えながらも、本質は好ましく存在し続けていること」をたいせつにすべきです。

 あなたにとって、本当に心の豊かさを支え、人生の生きがいを感じさせてくれるのは、何ですか?
「音楽です。受け身で曲を楽しむよりも、さらにクリエイティヴに音楽に取り組むとき、心の源泉から潤いと喜びを感じます」という方々へ、そして「結婚相手を得て、幸せな家庭を築くことは、身近な生きがいの実感になると思います」という方々へは、弊舎がお役に立てることもあるかもしれません。


一般の音楽好きの方々にとって、「曲作りしたらライブで披露したい場」とは?


 今の時代に考えてみると興味深そうなお題を、3つ挙げてみます。

 1ロックなどの若手ミュージシャンの活動の適齢期は、20代〜30代」というのと「未婚者の結婚適齢期は、20代〜30代がピーク」や「スポーツ選手の闘志旺盛な全盛期はほぼ30代まで」といわれるのとは、たんなる偶然の一致ではありません。(発達心理学などの面で「20〜30代の時期は‥」と説明するのが上手な先生方なら、たぶんこの"適齢"もどきはもっと明晰に解説できるようなことなのでしょうが)人間の精神的成長において、大人としての自我確立を確信し、社会的な立ち位置を得たいとの欲求が旺盛な時期…という面で一致しているのではないか…と思われます。人生のその時期、結婚願望が強い人は「結婚して配偶者とともに生きる人生の転換期を、幸せ感や喜びとともに自覚し関係者へお披露目したい、(人生の転換期とはいえ粛々とせず)派手にやってかまわない稀少な機会だし、できれば華やかな結婚式を挙げて新たな門出を大いに祝いたい」、演奏活動意欲の旺盛な人は「晴れのステージに立ちたい、歌いたい、群を抜いた立ち位置で目立って活躍できる機会を得るのも気持ちの高揚を味わえる、日頃コツコツ練習して磨いてきた腕前を披露して聴かせたい」との気持ちは他の年齢期よりもいっそう旺盛なはずです。にもかかわらず、「人生の一大イベント、結婚式披露宴で生演奏する…という機会を、どの程度たいせつなチャンスと考えられているのかなあ」というのは一考してみる余地のある事柄です。

 2さらには、スポーツなら「闘志や勝ち気、くやしさをバネにして立ち上がる剛腕さ‥といった類の気持ちが薄れて穏和を望むようになったら、そろそろ現役引退の時期だ」といわれますが、音楽はむしろ「闘志や勝ち気などの気持ちを激烈に感じる時期は乗り越えた後が、やっと成熟した美しい表現の追求に本気になれて、精神的コンディションも穏やかに良好な時期」といえます。高齢化社会において、「音楽は若い時期が適齢期」といった20世紀後半の価値観にこだわる必要はないと思われます(実際、それ以前の時代は「音楽やるなら20〜30代が適齢ピーク」なんて価値観はとくになかった‥と思われますので、20世紀後半の半世紀間に特有な特殊な価値観だといえるかもしれません)。若い世代も、音楽をやりながら生きる人生を気長に考えていい状況になるのは、安心感があります。

 3ところで、大人の方々への音楽セミナーをおこなっていて気付くのは、「ステージで演奏するチャンスがあればノリ気!…という人たちは、男性にもけっこう多い」ということです。プロのミュージシャンに男性が多いのはご存じのとおりですが、普通に会社勤めや自営業をしている男性の方々だって、「気恥ずかしい」とおっしゃるかと思ったら、そうじゃない。バンド好き、カラオケ好き、男性だって「ステージで歌ったり楽器演奏するチャンスがあったら、演りたい」人は多いです。もし「音楽教室へ通うのは子供たち、大人でも音楽レッスンに通うのは女性たち」と思い込んでいるなら、それは20年前までの話。今やカルチャースクールも男性受講者の比率は相当多いです。とくに、作曲を学びたい人は「ほぼ男女半々」か「男性が若干多め」です。


音楽好きなら、「ちょっとした余興…ではもったいなすぎる機会」をきっかけに。

ほんのりあったかな幸せイメージ もしも、「これまでオリジナル曲を作ったことはなくても、たった1曲でも作って演奏しようと思ったら、どのような晴れのステージなら自分でも可能だと思いますか?」と多くの人々に尋ねるなら、一般には「そういうことは考えたこともなかった」という人が多いでしょう。

学生の頃から音楽部活やバンド活動したり、音楽のレッスンに通っていた経験がある人なら、「ライブハウス、音楽の発表会」というのはすぐ思いつくでしょう。未だ誰もがやっているわけではないことを、ちょっぴり世間に先駆けて、楽しくうれしい気持ちでおこなうのは、感性活き活き!やりがいあります。
 「常日頃、ステージで歌ったり楽器を演奏するような仕事をしているわけではなくても、『人生で最も晴れやかなステージに立つとき』…とは、どのような機会でしょうか?」と質問すれば、世間一般にかなり多くの人々が、「結婚式・結婚披露宴」と答えるのは、今も昔もそう変わらないと思われます。(ちなみに、社会調査のアンケート((どういう調査か詳細はわかりませんがテレビのクイズ番組で出題されていた))によると、既婚夫婦の約8割は「盛大な披露宴を催す結婚式でも、二人だけの結婚式でも、とにかく結婚式は挙げた」「2016年に結婚した夫婦の7割は結婚式を挙げた(リクルート調べ)」そうです。実際、お見合い婚活支援してご成婚に至った人たちにおいても、再婚や初婚40代後半以上では挙式しない場合が多く、「20〜30代初婚の場合は挙式する人たちが大半」です。結婚式を挙げていない夫婦の人たちにも「結婚後何年か経ち、生活が安定してから結婚記念日のサプライズに挙式する」という方々もいるぐらいなので、「関心がないわけではない」というのが実情ではないでしょうか)。

これぞ!という曲を作って、生演奏で歌ったり楽器を弾いて、みんなで盛り上がる機会として、結婚披露宴は貴重なチャンスだ、音楽でできることを工夫しないのではもったいない!‥と、その価値を前向きに考えませんか。

ウエディングソング作ろう」との関心がありましたら、記載のページをご覧ください。
「オリジナルの器楽曲で、結婚式の曲を作って演奏しよう」とご希望の方も、どうぞ。

婚活支援の祥友会」。
月払いでいただくのは
音楽の月謝のみ(婚活の月会費なし)、たまに「仲人立会い同席のお見合い」1万円
ウエディングソングを作りながら婚活し、婚約して曲を仕上げ、リアルに結婚式でお披露目したい方は
記載ページをご一読ください。


まごころソングや器楽曲を作って演奏しよう」との、中高年の方々への説明もあります。
40代以上の世代は、音楽が隆盛で感動と活気を帯びていた時代を実感として知っています。
「音楽やるなら、ゆるすぎて退屈する感じでやりたいわけじゃない」という音楽好き過ぎる人たちが、
じつは大勢いるはず。中高年になって本気出したら、曲作りしたくなった‥ってのもいいもんです。

渡利辺祥楽舎の「作曲レッスン」は、
音楽好きで楽器も多少は習ったけど曲作りは初心者、という方も、音楽の先生方も学びに来る講座です。
「音楽へはほとんど関心もないけど、芸術家気分に憧れて高望み」というよりは、
「頑張れば自分にもできそう」から着々と目標達成レベルを上げていきたい方を、歓迎しています。

「作曲アレンジ講座・レッスンの総合案内」 も、どうぞご覧ください。

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読んでよかった!
快い気分のときに、快い感じの曲を作って、「作りたいときも、作っているときも、思い出したときも、快い曲だから、他の人々へも安心してオススメできる」というように曲作りする心がけについて。
脳科学者の説によると、「人間は、感情を高ぶらせた事柄については、よく覚えていて、楽天的で幸せ気分の人は、気持ちのいいことや、うれしいとき、楽しいときに、感情を高ぶらせて感激・感嘆する習慣があるので、思い出も考え方もうれしく楽しい記憶とともに、前向きで陽気な発想がわく」そうです。気持ちに悩みや迷いがあってスッキリ陽気になれないときには、わざわざ作品を作ったりはしない。晴れの気持ちになったときには、「さあ!作品作りには最適な気分だ!」とうれしがって曲を作るように、自分の行動を習慣付けましょう。やがて、楽しさやうれしさや陽気な気分のほうが、だんだん記憶の多くを占めるようになってきます。
「楽しい気持ちが高まってきたときにこそ、楽しい曲を作って、その楽しさは繰り返し歌っても弾いてもやっぱり楽しくて、思い出の記憶には楽しさや喜びやうれしさのほうがたくさん蓄積されていて忘れない」というような、芸術を通じた精神修養をめざしましょう。人それぞれ、つらく苦しいこともあれば忍耐強く頑張っていることもあるけれど、日々是好日、「いつだって、今だって楽しみは感じられますように!」と思うことで、将来へ前向きな考えと元気がわいてくるといいですね。
 いつまでも脳が活発に元気であるように‥と願う人は多いですが、その「元気な脳で何を考えるか」ってことも重要です。お金のこと、暮らしのこと、健康のこと、‥それもたいせつですが、音楽や曲作りや芸術のことなんかを考える習慣を持つと、今まで未開拓だった右脳左脳のあちこちが活性化されて、コーヒーを飲みながらのひとときにも「次に作りたい曲は‥」とか、芸術のことを考える愉しみが増えます。
作曲家の仕事は、歌手・演奏家の仕事より、一般に一人前の仕事人になるお年頃が高いです。
音楽関係の仕事(職務)には、ある程度のお年頃があって、エンタメ系の歌手・演奏者のお年頃は10代〜30代‥というのは珍しくありません。一方、たとえばプロデューサーの仕事は「10代でデビューして30代で引退」などという仕事ではなく、ディレクターも「20代ではアシスタント、30代でやっと仕事をそれなりに任せてもらえて、40代でチーフディレクター」といった仕事です。作曲家の仕事も年齢は高く、20〜30代はアシスタントのつもりで依頼仕事の編曲も手がけながらクライアントは何を求めているかといったことも学び、40代以上になって作編曲のテクニックも熟練し、得意な作風やクリエイターとしての仕事の着手の仕方も迷いがなくなってくる‥といった仕事で、容易に習熟できないジャンルほど仕事の壮年期の年齢は高くなります。
こんな曲作り教室はNG‥の例。
 1.「曲なんて、自分が好きなように作ればそれでいいじゃない」と言って、音楽理論や作曲技法の説明や、受講生が習作してきた曲への指摘も手直しも指導もしない教室。(→これには2種類あって、ひとつは「指導する講師の側が演奏系で『曲の楽譜は出来上がっているもの/与えられた楽譜どおりに演奏するのが演奏者の立場』と思っていて、曲の或る箇所を指摘して別案を提示したり楽譜に手直しを加えたりする習慣がなく、いざ生徒が曲を作って持って来ると『とくに言うことない』気持ちになってしまう」ような場合。もうひとつは「生徒がたいしてコード進行も和声も楽器編成も学んでいない段階で、満悦して有頂天の気分になってしまう」ような場合です)。
 2.「自分で曲を作れば著作権を握って大もうけ、一攫千金だって可能かも」と言って、曲作りよりももうけ話ばかりに関心を集めるような教室。(→これは歌謡ポップスで作曲家としての実績がある人が、ベンチャービジネスに関心のある人々を対象に「知的財産権としての著作権はメリットがある」などという面を偏重して説くような場合)。
 3.「曲を作るには、作曲する本人がまず、自分で思いついた曲想を、正しい音の高さや音の長さやリズムで楽譜に書いたり弾いたり歌ったりできる必要がある」との認識が不足したまま、受講者の作曲能力を伸ばすよりは「アプリや編曲者の助力があれば、楽譜の読み書きも歌唱や楽器演奏もできなくたって、コード進行も和声も知らなくたって、作曲者になるのはすぐ簡単」と安易にすすめる教室。(→これは
編曲仕事を多く手がけてきた指導者講師が「生徒の作曲能力を伸ばし育てるための例示」という範囲を超えて、「生徒をお客様と見なしてサービス精神旺盛に作編曲を手伝うか編曲仕事と割り切り、生徒がそれに依存していつまでも初級レベルのままなのに『自分は作曲ができる』と勘違いし、中級レベル以上へは育ちにくい」ような場合です。生徒がぼちぼち習作するのを、じれったいと思わずに、生徒が理解し作れるようになるペースで見守ってあげるのも講師の仕事です。「ちょっとしたメロディーでも思いつけば、あとはかっこいい曲に仕上げる手間は編曲家にお任せ」なんて掲げて生徒集めしちゃうと、このNGにひっかかりやすいので、弊舎では「勉強するつもりで来てください」と掲げています)。
 .「指導者講師が、生徒の作って持ってきた曲に対し『これはいい、これはダメ』と判断・評価や感想は言うが、『なぜその箇所は手直しする必要があるのか/この作例とあの作例ではどのように出来が異なり、この作例のほうが好ましいとされているのか』といった説明が足りなくて、『たんに個人的な好みを押し付けているだけではないか』と生徒が納得できず、学ぶというよりは『なんだかよくわからないけど従うしかない』ような気持になる」といった指導をする教室。(→講師の立場としては、「生徒が中習段階を超えて各自得意な作風や書法を追求するようになれば、ひとつひとつの説明にそんなに手間をかけなくても、好みもあるから任せておけばいい」という状態にはなります。むしろ「いつまでも『先生、これでいいですか』なんて仕上げの判断を委ねていないで、いい出来か自分で判断できるようにめざせ」というのが、中習段階以上の課題認識になります。が、それ以前の初級〜中級の生徒に対してはまず、音楽理論や作曲技法や楽器編成など説明する事柄は多いものです。「自分が曲を作れる」だけでなく、「生徒へ曲作りの方法を説明して指導する」という教育的スキルも必要です)。
 上記1〜4のNGは、すでに20世紀後半(1970〜90年代)には「安易にやってみようとしたら、そんなに安易にできるもんじゃないとわかった」と認識されたことです(‥世の中には「音楽を学ぶなら作曲教室へ行きたい」と思う人々は少なからずいるのだけれど、このNGが「世間に作曲教室が少ないワケ」でもある)ので、同じような轍を踏まないようにしましょう。『奨励していいこと』と『好ましくないこと』ぐらいの認識は持ちたいものです。

(ちなみにについてですが、たとえばもし「中習段階を超えたメンバーを"渡利辺派の作曲家"としてかかえてプロダクションのような組織にし、『"渡利辺派の作曲家"と名乗るからには、このような書法と作風のこういう仕上がりの曲でなければならない』との姿勢でチーフクリエイターとして指示し、出来ばえをチェックする必要がある」というなら、経験豊富に実績を重ねたメンバーへも「所属するからには『先生、これでいいですか』とお伺いは立ててくださいね」と言うことにはなるでしょう。ですが、「下手の横好きっぽい人もいれば、独学からの駆け込みでもけっこう上手い人もいるし、音楽学校へ進学するならできれば作曲コース希望で作曲の素質があれば伸ばして進路相談に応じてほしいと思ってる若者も、子供連れで来て楽典から勉強したい人も、学び始めたらひょっとして作詞の才能に気付く人もいるかもしれない」との門戸を開いた気軽な趣味の曲作り教室で、好きずきに「ウエディングソングやまごころソングのちょっとしたバンド曲を作って、ライブしたりユーチューブで公表できたらうれしいな」という受講者の人たちへ、初級中級段階からそこまでクリエイティヴな追求精神や所属意識を持ってもらって掌握する必要はないと思われます)。
 なお当ホームページでは、受講レベルについては「初級〜中級〜上級」と記しましたが、おおむね上級以上でありながら「音楽理論や作曲技法に習熟して自分の作風を確立しようと腕磨きしている」レベルの人を(見習い〜中習〜熟練の)"中習段階"といった記述をしています。ゆえに、「中級=中習段階」ではありません。
人間の精神的成長について。
芸術で精神修養する道は、
競争心を超えた心の豊かさで、
美しい表現力を、軽やかに。

 筆者は20代半ばのある日、「ライバルへの勝ち気というのは、頑張る気力や向上心の原動力になる時期もあるが、基本的にはライバル心をバネにして湧いてくるヤル気というのは、そもそも動機が不純だから、それ以上に持久力と精神力を持って達人の域まで頑張りたい…と思ったら、むしろ勝ち気を原動力に頑張るような習慣は、求道精神と精神的成長の妨げになる」と気づきました。やる気はわいてきても、葛藤や矛盾でゴタゴタするようなライバル心や競争原理は、動機が不純なのだ…と。スポーツでは競争や勝負抜きでは成り立たないような種目が大半ですが、音楽では競争や勝負が必要不可欠というわけでもないのです。(もともと勝ち気の素質が強い人が、(勝ち抜き戦の勝負ごとやスポーツのようなモチベーションに触発されてか)とにかく「自分が勝ち続けて、自分こそが、自分だけが最強の勝者となるにふさわしいと信じてめざすことに、迷いも疑問も持たず孤高であれ」と徹底した勝ち気クセを付けられ、それで(コンクールなどで)勝ち抜いてすっかり勝ち誇ったりすると「周囲はみんな(仲間ではなく)議論もせず言いなりで指示待ちの従者ばかり、その外側にはやっかみや挫折感だらけ」なんて状態もイヤですし、頑張るパワーを必要とする際には「ムリにでも勝ち気を再奮起するのが習慣で、くやしさをバネにするような心境へ仕向けたり、他者を競争相手と思い込んで、動機の不純な元気をしぼり出す」なんて状態も迷惑でイヤです。退屈でなく、敵対でなく、雑多でなく、散漫でなく、和気あいあい‥をめざしたいものです。バロック期のコンチェルトグロッソ、ラヴェルのボレロ、ヒンデミットの各種楽器の器楽曲、アドリブセッションを好むジャズバンド‥などなど、「それぞれの演奏者にちゃんと自分の得意技を活かせる聴かせどころがあって、各々が芸術を追求する人間として互いを尊重し合いながら協調し、仲間意識をもって調和的な音楽を演るのは楽しい」といったやり方ができる‥その際、「勝負ごとは音楽にとって必ずしも必要不可欠な要素ではない」と言えるから、音楽ってのは心ほがらかに楽しみやすい‥ということも考えてみましょう)。
 競争心は、創造的な表現意欲や技磨きを伸ばすように作用するよりは、妨げや弊害として作用することが少なくないので、できればクセにならない程度に避けるほうがいいのです。(そうは言っても、若い時期は競い合いたいのが人間ですもんね。熾烈な勝ち抜き競争激化で、人生観や職業観に奇妙なクセが付きませんように。その反動で、たまに「上手かろうと下手であろうとなんだってかまわない」みたいな価値観がブームになっても、ブレた価値観の軸が「やっぱり上手いほうがいい」へ戻るのを気長に待ちながら、腕磨きを続けられますように。腕磨きしてきてだんだん上手さがわかるようになってきた‥という人々がじわじわ増える方向へ、そうやって増えた"上手さがわかりかけてきた人々"が「素晴らしい、芸術的価値がある」と認めて支持するにつれ、うれしい共感が(いっぺんに拡散するのではなく)少しずつ拡がってつながっていくような方向へ、いい出来の曲作りをめざしましょう)。
自分も栄えたいと願っているし、周囲もみんなで栄えようと志向するからこそちゃんとこまめに説明努力している気持ち、わかるかなあ。説明するのは、(バトルで議論するためというよりは)「相手と理解を通じ合わせ、我々はどのような状況において何をするのが好ましいか‥の合意を探り、相手は何をしようとしているのかを認識し、自分は自分のできることを明瞭に認識して、前向きにものごとを進めるため」です。(ついでに「無駄な戦いの攻防へ無駄づかいするよりも、できれば世の中が平和で『文化芸術へと予算を有効活用する』ほうが、税金の無駄づかいにならない、未来へ活かせる‥とは、みんなが知っていることです。『医療・福祉や国防・治安維持などに予算が必要』というのはわかりきってることだとして、『だからといって文化芸術の予算を削減しよう』なんて言い分はおかしい。文化芸術予算が削減され、旧作の楽曲の使いまわしが多くなって未来への飛躍的な発案がしにくく先細りするよりも、クリエイティヴに発展性ある考え方で新作の楽曲を作って市場規模拡大をめざすほうが、仲間意識も前向きに力を合わせて将来へのやりがいを感じられます。Wワークや兼業でも文化芸術に頑張っている人たちは大勢いる(‥むしろ40代以上でしぶとく音楽活動続けている人たちの大半は兼業)というのに、無理解なしわ寄せが来ませんように。新作の力作力演を推進し、上手くて素晴らしい将来性を期待する機運が盛り上がり文化芸術が繁栄しますように」と書き添えておきます)。
 仕事は「将来実現したい展望への共通認識とやりがいがあって、協力し合えば将来への期待で盛り上がるし、楽しいから頑張る気力が湧いてくる」ほうが、ありったけの能力を発揮できるのであって、パワーがわいてくるのは(勝ち気よりも)まず「やりがい重視!」と心得ることが大切だと思っています。
熟年世代が、若い世代の脇で遠慮がちにではなく、胸を張って「熟年ならではのたくみ」をめざしていい、社会的フィールドの居場所がちゃんとあるといいね‥という話。
 高齢化社会の多人口世代が、若者〜壮年現役世代のおじゃまにならない社会的フィールドで、それなりに現役で仕事を営んでいけるような考え方を持つことは、若い世代の将来へ希望を与えることにもなると思います。「新作の曲は30代までの若者向けばかり」というのは、20世紀後半〜半世紀間の特殊でいびつな現象だったかもしれません。壮年期を闊歩してきた人々が、熟年になって、芸術の求道精神やたくみの技への造詣を深くする‥というのは、昔からよくあることだったのですが、20世紀後半からのこの半世紀余り、ちょっと忘れられていた人生観です。
 実際、40代以上もちゃんと仕事をできるフィールドがあってこその安定した業界です。「30代を超えて、
40代からのセカンドキャリアをしっかり持てる社会にしよう。60代定年の時期を超え、熟年ならではの誇りと人生経験を豊かに仕事に活かせる社会にしよう(‥いわば定年後も、"60〜80代のサードキャリア"も追求しやすく意欲的に働けるような世の中にする‥熟年なりにできる働き方で意欲的になれる職種を増やすことを推進)」というのは、国の社会政策としても審議され、2017年度以後施策推進されていく見込みだそうです。熟年世代でも向上心や鍛錬で快活な精神力を持ってできる仕事を増やしていければ、若い世代も「老後になってやりたい仕事」の希望の選択肢が増えていいですね。
 エンタメ系音楽業界で「次々に若いアイドルが登場して元気を振りまいてくれるのも、長年のアイドルが中高年になっても活躍している姿を紅白で見る安心感もある」ってのはいいですが、「40代以上になったら、中高年に支持される芸術系の音楽業界がある。たくみの技や求道精神への価値観が強い人は、中高年からの芸術活動がいよいよ力の見せどころだ」と信念をもって言える‥シニアに居心地いいフィールドも、ご長寿高齢化社会には強いニーズがあると思います。若者世代に遠慮せずともおジャマにならず、「若者世代に君臨して大御所扱いされるのでなければ居続けられない」みたいな状態でもなく、「シニアといえば懐メロが定番」みたいな決めつけられ方もせず、「60代の熱心な音楽マニアの間で今人気の演奏家や話題の曲はコレ」‥と、熟年は熟年なりに好きに盛り上がっていいような。中高年が誇りを感じて音楽に取り組んでいけるフィールドがちゃんとあっていいと思います。
 ついでに。
20代30代もメディア世代であるけれど、40代50代もメディア世代、60代70代もメディア世代である、‥それぞれの世代が個性とプライドを持って表現活動を追求していこうとする際、世代間ギャップがプライドのぶつかり合いで"いい歳して互いに反抗期"みたいな状態にならないためには、穏やかで柔和な「ものの言いかた」を心がけ、説明をちゃんと理解し合えるコミュニケーションの仕方を習慣にするといいみたいです。
今も昔も在り続けている技芸の課題
 芸術の道は、「創造的で優れた技のある美しさに、素晴らしい大きな感動を呼ぶ」ことができるようにと、腕磨きし精神力を鍛えて修業を積んでいきます。メディアが発達した現代、「古代の村の集落で、絵の上手い人が壁画を描いたことに村民みんなが感動し、音を鳴らせる道具は一緒に合奏すれば美しい響きで感動できることを知り、構造的な建物を建造したことに隣村の村民たちも感動し敬意を持たれて、お祭りと交流の規模が世界観を広げていった」「室町時代の武士たちは美しい茶碗に感動し、能を舞い、戦いよりも素晴らしい気持ちで人間は生き得るものなのだ‥と悟って、平和をめざせばより素晴らしい生きがいがあり得ることを知った」「江戸時代の町民は印刷技術の普及に伴い、浮世絵や瓦版を手にして『次の新作は、今人気の話題は』と、絵や情報には(描き写す技の巧みさや必要事項の伝達というだけでなく)新作の連発に"今の時代をトキメキながら生きている実感"が伴い得る‥そういう種類の感動で共感できることを知った」‥といった歴史的経緯を経て、録音録画技術や通信/放送が登場した20世紀以後、昔とは比較にならないほど広大な規模で「人間は素晴らしい大きな感動に共感し得る」ことを知りました。
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「感動には、享受し共感する規模の大小だけでなく、純度や質感の差異もある」ことについて:
 感情の質感の差異には、日常的にわかりやすく言えば「とてもいい感じ、気持ちいい」などの感じもあれば、「気色わるい、うんざり」などの感じもあります。「非日常的な感動・感嘆・感激」は、「いつもの日常的な気持ち」を超えた感情で、形容詞で言い表すと「素晴らしい、とてつもない」などがあります。もう少し異なる角度から差異を測ると「崇高な感じ/華麗な感じ/いとおしい感じ/清純な感じ/おごそかな感じ」など。「かわいい/イケてる/ダンディ/キュート」とか「ほんわか/キャピキャピ/ノリノリ」などは日常性に近い感じで、時代の気分に応じて流行りの新語もどんどん生じたりしますが、人間、すごくあまりの素晴らしさに大きな感動を覚えたりすると、「とてつもない素晴らしさ」に相当する新語はそんなにどんどんあるわけでもなく、「キュートだね/キャピキャピのルンルン気分」とかいう感じのレベルを超えた感動のレベルがあるんだなあ!‥と実感したりするわけです。
 感受性のセンスを磨くには、「純度の高い高貴で聖なる感情もあれば、雑味が多くで俗っぽいけど人気を引っぱるような感情もある」ということに気付いてみれば、世情の様々な発見があるかもしれません。聖なる感情ばかりでは世渡り下手になりかねませんし、低俗な感情ばかりでは「芸術性の追求って、そりゃ何だ?」と感性の質感よりは実益や安易な享楽の興奮に偏りがちです。(料理でたとえるなら、「高級ホテルの割烹の澄んで繊細に香り立つお吸い物の味」もわかるし「油ギトギトののれんがかかった中華料理店の、長い行列で並んでも美味さぞっこんのギョーザの味」もわかる‥というほうが、生き方に幅がもたらされます。どちらの店の料理人も、それぞれ磨いてきた腕前には自信を持って料理を出しますし、お互いに敬意を感じ得意な腕で共栄共存していくことを願っています。どちらの店が行きつけであろうと、人々は気分や好みやTPOに応じてどちらの店へも気持ちよく行ける、侮ったり卑下したりねたんだり‥なんて感情ではないから美味な料理をおいしいと味わえるのです)。感情表現には、陽気で楽しい感動ばかりではなく、迷いや苦悩や恐れなどもあるでしょう(そうした煩悩が多い時期にはそのままでは「頑張ろう」とは言いにくいので、洗練し軽やかな気持ちになることが優先課題となります)が、修業を積むにつれて「"素晴らしい!"へと質感のいい感じを磨き高め、『そのまま頑張っていい』気持ちを常態化していこう」というのは芸術の本筋です。意志の強い精神力で芸術求道を貫く‥といった姿勢は、だんだんに身についてきます。
 「創造的で素晴らしく新しい時代を感じさせる表現力を発揮しよう!科学と技術の進化に伴って、時代的に変容していく社会状況へ、快く楽しく美しく調和可能な接点を見つけて、秀逸な作品を作り、共感と賞讃を得られるよう志そう」というのと、「情操教育で、喜怒哀楽の情緒を衝動や迷妄耽溺の不安定さに任せず、個々を尊重しながら気持ちのいい人間関係を築けるよう、心豊かで穏和で礼節あるコミュニケーションを心がけよう」というのとを、上手に精神的バランスとりながら芸術表現活動するのは、今も昔も変わらない芸術的な課題です。二者択一だと思うと、先鋭的でも奇抜で過激な表現になったり、恭順でも創造性に乏しい停滞感に飽き飽きしたりするので、上手に芸術活動しましょう。
 「闘争を超越した友好的なスポーツ」や、「激情を超越した音楽表現活動」は、平和的で豊かな文化的社会にほどよく快適な調和をもたらすよう作用します。

(この欄の記載コラムは、一部『読んでよかった!上級編』へ移動しました)。