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大人の音楽レッスン、作曲学んで創る力を磨いてやりがいを

弾ける、歌える、その先は曲作りを学ぼう渡利辺祥楽舎 0721-28-8000

ステキで素晴らしい曲作りたい、との意欲を伸ばす

趣旨音楽を続けてきてよかった!…と実感する機会を増やしましょう

どのような時代にも、心豊かに人生に楽しみ、幸せを感じる生き方を

心なじむ幸せイメージ

 「時代の変化に適応しながら、柔軟な考えと判断を持って、しっかり生き抜かねば!」…今の時代、多くの人々がヒシヒシと思っていることです。心豊かに楽しい気分で生きるために、「自分にとってコレがあれば、満足して人生に生きがいを感じる」と思えることをしぼり込み、その手ごたえと充実感をじっくり実感することへと関心を向ける人は増えているでしょう。
 多種多様の価値観や産業や文化が混在する今21世紀の時代だからこそ、選択すべきことは、「20世紀には存在したが、21世紀には衰退して、22世紀にはもう存在しないだろう」ということではなく、「20世紀には未だ黎明期だったが、21世紀には成長と発展が期待できること」や「18世紀にも19世紀にも20世紀にも存在し続けてきたし、21世紀になっても、22世紀になっても、その時代なりに姿形をふさわしく変えながらも、本質は好ましく存在し続けていること」をたいせつにすべきです。すがすがしい気持ちで「哲学」するには、前世紀よりも恵まれた環境にあるのが、今の時代です。

 あなたにとって、本当に心の豊かさを支え、人生の生きがいを感じさせてくれるのは、何ですか?
「音楽です。受け身で曲を楽しむよりも、さらにクリエイティヴに音楽に取り組むとき、心の源泉から潤いと喜びを感じます」という方々へ、そして「結婚相手を得て、幸せな家庭を築くことは、身近な生きがいの実感になると思います」という方々へは、弊舎がお役に立てることもあるかもしれません。

中高年になっても、時代とともに社会情勢がどのように変わっても、
自分は自分なりにステキな音楽を、
エキサイティングに、クリエイティヴに楽しめる時間を持つために、
今からできること…ぼちぼち始めませんか


一般の音楽好きの方々にとって、「曲作りしたらライブで披露したい場」とは?


 今の時代に考えてみると興味深そうなお題を、3つ挙げてみます。

 1ロックなどの若手ミュージシャンの活動の適齢期は、20代〜30代」というのと「未婚者の結婚適齢期は、20代〜30代がピーク」や「スポーツ選手の闘志旺盛な全盛期はほぼ30代まで」といわれるのとは、たんなる偶然の一致ではありません。(発達心理学などの面で「20〜30代の時期は‥」と説明するのが上手な先生方なら、たぶんこの"適齢"もどきはもっと明晰に解説できるようなことなのでしょうが)人間の精神的成長において、大人としての自我確立を確信し、社会的な立ち位置を得たいとの欲求が旺盛な時期…という面で一致しているのではないか…と思われます。人生のその時期、結婚願望が強い人は「結婚して配偶者とともに生きる人生の転換期を、幸せ感や喜びとともに自覚し関係者へお披露目したい、(人生の転換期とはいえ粛々とせず)派手にやってかまわない稀少な機会だし、できれば華やかな結婚式を挙げて新たな門出を大いに祝いたい」、演奏活動意欲の旺盛な人は「晴れのステージに立ちたい、歌いたい、群を抜いた立ち位置で目立って活躍できる機会を得るのも気持ちの高揚を味わえる、日頃コツコツ練習して磨いてきた腕前を披露して聴かせたい」との気持ちは他の年齢期よりもいっそう旺盛なはずです。にもかかわらず、「人生の一大イベント、結婚式披露宴で生演奏する…という機会を、どの程度たいせつなチャンスと考えられているのかなあ」というのは一考してみる余地のある事柄です。

 2さらには、スポーツなら「闘志や勝ち気、くやしさをバネにして立ち上がる剛腕さ‥といった類の気持ちが薄れて穏和を望むようになったら、そろそろ現役引退の時期だ」といわれますが、音楽はむしろ「闘志や勝ち気などの気持ちを激烈に感じる時期は乗り越えた後が、やっと成熟した美しい表現の追求に本気になれて、精神的コンディションも穏やかに良好な時期」といえます。高齢化社会において、「音楽は若い時期が適齢期」といった20世紀後半の価値観にこだわる必要はないと思われます(実際、それ以前の時代は「音楽やるなら20〜30代が適齢ピーク」なんて価値観はとくになかった‥と思われますので、20世紀後半の半世紀間に特有な特殊な価値観だといえるかもしれません)。若い世代も、音楽をやりながら生きる人生を気長に考えていい状況になるのは、安心感があります。

 3ところで、大人の方々への音楽セミナーをおこなっていて気付くのは、「ステージで演奏するチャンスがあればノリ気!…という人たちは、男性にもけっこう多い」ということです。プロのミュージシャンに男性が多いのはご存じのとおりですが、普通に会社勤めや自営業をしている男性の方々だって、「気恥ずかしい」とおっしゃるかと思ったら、そうじゃない。バンド好き、カラオケ好き、男性だって「ステージで歌ったり楽器演奏するチャンスがあったら、演りたい」人は多いのです。もし「音楽教室へ通うのは子供たち、大人でも音楽レッスンに通うのは女性たち」と思い込んでいるなら、それは20年前までの話。今やカルチャースクールも男性受講者の比率は相当多いです。とくに、作曲を学びたい人は「ほぼ男女半々」か「男性が若干多め」です。

 上記の1について、少しばかり付記しておきましょう。

 30年前に比べれば、世間一般に、ライブハウスやリサイタルの機会も減っているような昨今、「結婚式披露宴を、ちょっとした余興程度でやり過ごしたりせず、歌って奏でてライブするにはとても大きなチャンス、貴重なチャンス」と認識していいでしょう。演出の予算だって、けっこうはずむつもり…ひょっとして、ライブハウスのステージで演奏する際よりも、もっと華やかにとお考えではありませんか。
オシャレな装いで来場する人たちも、「さあ、涙と喜びで感動して、大いに盛り上がりたいなあ!」と期待感の気持ちが前準備できていてお越しになり、反応も「よかった、よかった!」と、とってもポジティブです。(コンサートツアーやライブハウスに出演することの多い歌手・ミュージシャンが、「大阪のお客さんは、盛り上がりたい気持ちで来てくれて、反応もあたたかくステージ客席一緒に共感できるから、とっても演りやすい」とよく言ってるのを、思い出してください。「こんなに練習して上手いはずなのに、それでもドキドキ」で客席は静か、審査員がシビアにチェックして評価するような緊張したオーディションのムードとは、全然異なりますよね)。
「拍手喝采もOKの陽気なムードで盛り上がりながら、来場者の人たちが感動して聴いてくれているのを、演奏する自分たちも心から実感することができた」との経験を持てる機会(…なんとかそのような機会を設けようとして「新人コンサート」など開催している自治体文化施設などもあるほどで、もしかしたら若き音楽学校卒者にとっては初めての貴重な機会になるかもしれない)…というほどのそのチャンスを、みすみすちょっとした余興でやり過ごすなんて、もったいないことではないでしょうか。 披露宴の2時間に18曲の音楽が流れるなら、その全曲をオリジナル曲でそろえる‥というのはたいへんだとしても、「2〜3曲ぐらいはオリジナル曲を用意して、かけがえのない稀少な機会を、ステキな演出で盛り上げたい」と思っていいでしょう。
「結婚披露宴で演奏して共感した感動の経験をバネに、『歌おう、一緒に演奏しよう、聴きたい』という人間関係のつながりも広がって、自分でもできそうな規模から各人各様その先の企画を手がけられて、結婚してから積極的に演奏活動していく」みたいなカタチがあってもいい

 来賓も集うスペシャルな宴で、もてなしの生演奏…といえば、サロンコンサートは元々そういうライブ!
催事のカタチの類推からしても、「来賓も集うスペシャルな宴」は「18世紀なら…、21世紀なら…」と文化的状況は時代の変遷に応じて変容してなお、昔も今もちゃんと存在しています。歴史的に展望すれば、「売れるか/売れないか、集客動員は…宣伝プロモーションは…録音の市販の流通は」…との考えで音楽市場が動くようになった20世紀以前から、
名曲の数々は、そのようにして宴での生演奏のニーズから作られ演奏された曲が少なくない…伝統的にも元々がそうなのです

 音楽には、(絵画などのように「今となっては、仕上がった作品を眺めるだけ」でなく)、「今でも一緒に歌える、一緒に弾ける」との素晴らしい性質があって、時空を超越して一緒に楽しめます。
実際、200年前の貴重な楽譜が発見されたら、「博物館に保管・資料展示しておく」だけじゃなくて、時を超えて今「どんな曲か演奏してみよう」ってこともできるのが、画家や彫刻家もうらやましがる"音楽の性質"です。百年ほど前には「見るだけじゃなくて、音楽のようにいつまでも一緒に演奏したい気持ちになる絵画を描けないものか、絵画に楽譜のような動機付けをできないものだろうか」と考えた画家たちもいたほどです(DTMアプリの楽譜制作画面では「それ、できちゃいます」と可能にしちゃったのって、昔の画家たちもびっくり!素晴らしい功績ですよね)。10年前に制作収録されたカラオケを、今リクエストして、歌って"今の気持ち"で共感する人々も、2百年ほど前に作られた「結婚行進曲」の30年以上前の録音を"今の結婚式の曲"だと思って演出にリクエストする新郎新婦も、大勢いるでしょう。(「あれ?日本で言えば江戸時代の頃作曲されたメンデルスゾーンの結婚行進曲を、自分が生まれる前に生演奏録音されたCDを今かけて、新郎新婦のご入場だ」とやってることに違和感がない、…そうした"音楽の性質"、画家が音楽に驚嘆しあこがれるのもうなずけますね)。
 結婚行進曲は定番のメンデルスゾーンの名曲でまとめるとしても、披露宴たけなわで歌うウエディングソング、幸せ気分のラブソング、…ぼちぼち学んで作りませんか。


音楽好きなら、「ちょっとした余興…ではもったいなすぎる機会」をきっかけに。

ほんのりあったかな幸せイメージ もしも、「これまでオリジナル曲を作ったことはなくても、たった1曲でも作って演奏しようと思ったら、どのような晴れのステージなら自分でも可能だと思いますか?」と多くの人々に尋ねるなら、一般には「そういうことは考えたこともなかった」という人が多いでしょう。

学生の頃から音楽部活やバンド活動したり、音楽のレッスンに通っていた経験がある人なら、「ライブハウス、音楽の発表会」というのはすぐ思いつくでしょう。未だ誰もがやっているわけではないことを、ちょっぴり世間に先駆けて、楽しくうれしい気持ちでおこなうのは、感性活き活き!やりがいあります。
 「常日頃、ステージで歌ったり楽器を演奏するような仕事をしているわけではなくても、『人生で最も晴れやかなステージに立つとき』…とは、どのような機会でしょうか?」と質問すれば、世間一般にかなり多くの人々が、「結婚式・結婚披露宴」と答えるのは、今も昔もそう変わらないと思われます。(ちなみに、社会調査のアンケート((どういう調査か詳細はわかりませんがテレビのクイズ番組で出題されていた))によると、既婚夫婦の約8割は「盛大な披露宴を催す結婚式でも、二人だけの結婚式でも、とにかく結婚式は挙げた」「2016年に結婚した夫婦の7割は結婚式を挙げた(リクルート調べ)」そうです。実際、お見合い婚活支援してご成婚に至った人たちにおいても、再婚や初婚40代後半以上では挙式しない場合が多く、「20〜30代初婚の場合は挙式する人たちが大半」です。結婚式を挙げていない夫婦の人たちにも「結婚後何年か経ち、生活が安定してから結婚記念日のサプライズに挙式する」という方々もいるぐらいなので、「関心がないわけではない」というのが実情ではないでしょうか)。

これぞ!という曲を作って、生演奏で歌ったり楽器を弾いて、みんなで盛り上がる機会として、結婚披露宴は貴重なチャンスだ、音楽でできることを工夫しないのではもったいない!‥と、その価値を前向きに考えませんか。

ウエディングソング作ろう」との関心がありましたら、記載のページをご覧ください。
「オリジナルの器楽曲で、結婚式の曲を作って演奏しよう」とご希望の方も、どうぞ。

婚活支援の祥友会」。
月払いでいただくのは
音楽の月謝のみ(婚活の月会費なし)、たまに「仲人立会い同席のお見合い」1万円
ウエディングソングを作りながら婚活し、婚約して曲を仕上げ、リアルに結婚式でお披露目したい方は
記載ページをご一読ください。


まごころソングや器楽曲を作って演奏しよう」との、中高年の方々への説明もあります。
40代以上の世代は、音楽が隆盛で感動と活気を帯びていた時代を実感として知っています。
「音楽やるなら、ゆるすぎて退屈する感じでやりたいわけじゃない」という音楽好き過ぎる人たちが、
じつは大勢いるはず。中高年になって本気出したら、曲作りしたくなった‥ってのもいいもんです。

渡利辺祥楽舎の「作曲レッスン」は、
音楽好きで楽器も多少は習ったけど曲作りは初心者、という方も、音楽の先生方も学びに来る講座です。
「音楽へはほとんど関心もないけど、芸術家気分に憧れて高望み」というよりは、
「頑張れば自分にもできそう」から着々と目標達成レベルを上げていきたい方を、歓迎しています。

「作曲アレンジ講座・レッスンの総合案内」 も、どうぞご覧ください。

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読んでよかった!
快い気分のときに、快い感じの曲を作って、「作りたいときも、作っているときも、思い出したときも、快い曲だから、他の人々へも安心してオススメできる」というように曲作りする心がけについて。
脳科学者の説によると、「人間は、感情を高ぶらせた事柄については、よく覚えていて、楽天的で幸せ気分の人は、気持ちのいいことや、うれしいとき、楽しいときに、感情を高ぶらせて感激・感嘆する習慣があるので、思い出も考え方もうれしく楽しい記憶とともに、前向きで陽気な発想がわく」そうです。気持ちに悩みや迷いがあってスッキリ陽気になれないときには、わざわざ作品を作ったりはしない。晴れの気持ちになったときには、「さあ!作品作りには最適な気分だ!」とうれしがって曲を作るように、自分の行動を習慣付けましょう。やがて、楽しさやうれしさや陽気な気分のほうが、だんだん記憶の多くを占めるようになってきます。
「楽しい気持ちが高まってきたときにこそ、楽しい曲を作って、その楽しさは繰り返し歌っても弾いてもやっぱり楽しくて、思い出の記憶には楽しさや喜びやうれしさのほうがたくさん蓄積されていて忘れない」というような、芸術を通じた精神修養をめざしましょう。人それぞれ、つらく苦しいこともあれば忍耐強く頑張っていることもあるけれど、日々是好日、「いつだって、今だって楽しみは感じられますように!」と思うことで、将来へ前向きな考えと元気がわいてくるといいですね。
 いつまでも脳が活発に元気であるように‥と願う人は多いですが、その「元気な脳で何を考えるか」ってことも重要です。お金のこと、暮らしのこと、健康のこと、‥それもたいせつですが、音楽や曲作りや芸術のことなんかを考える習慣を持つと、今まで未開拓だった右脳左脳のあちこちが活性化されて、コーヒーを飲みながらのひとときにも「次に作りたい曲は‥」とか、芸術のことを考える愉しみが増えます。
作曲家の仕事は、歌手・演奏家の仕事より、一般に一人前の仕事人になるお年頃が高いです。
音楽関係の仕事(職務)には、ある程度のお年頃があって、エンタメ系の歌手・演奏者のお年頃は10代〜30代‥というのは珍しくありません(それなりの音楽的才能があったからこそとはいえ、「周囲がかついでくれて、ラッキーにもお立ち台に上がっただけ」という状態を超えて、40代以上になっても華々しく演奏家としての活動を続けていく人は、演奏活動しながら「リスナーは何を求めているか」を感じ得てきています)。一方、たとえばプロデューサーの仕事は「10代でデビューして30代で引退」などという仕事ではなく、ディレクターも「20代ではアシスタント、30代でやっと仕事をそれなりに任せてもらえて、40代でチーフディレクター」といった仕事です。作曲家の仕事も年齢は高く、20〜30代はアシスタントのつもりで依頼仕事の編曲も手がけながらクライアントは何を求めているかといったことも学び、40代以上になって作編曲のテクニックも熟練し、得意な作風やクリエイターとしての仕事の着手の仕方も迷いがなくなってくる‥といった仕事ではあります。「勢い盛んな20〜30代の人たちには、作りたくて演奏したい曲もあるだろうし、60〜70代には熟年なりに作りたくて演奏したい曲もある。若い人たちへ気兼ねしたり張り合ったりせずに、好きな音楽をやりたいもんね」と思えば、「音楽やるなら作曲だ」との気持ちになるのは当然です。
 企画会議では歌手・演奏家は「お客様の気持ちはこう」と感知して言える立場にいますし、作曲家は「クライアントの要望はこう」と言える立場にいて、その接点がピタリと合いにくい場合はちゃんと議論するなりアイディア出しの打ち合わせをするなりして、接点を合わせていくのです。
日本の高度成長期は、
「徹底した品櫃の高さ」を追求したことで成長と成功と繁栄を得られた‥というあたりまえのことを再認識しましょう。

 音楽産業において先進国であることを誇り栄えている欧米各国では、音楽に関して「質が低くてもいいからとにかく売れれば‥」といった考えに主導されようとはしません。20世紀半ばの貧困な日本が高度成長に成功したのは、「粗雑で低品質でもいいからとにかく売れれば‥」との考えには走らない方向でコツコツ勤勉に励んだからです。
こんな曲作り教室はNG‥の例。
 1.「曲なんて、自分が好きなように作ればそれでいいじゃない」と言って、音楽理論や作曲技法の説明や、受講生が習作してきた曲への指摘も手直しも指導もしない教室。(→これには2種類あって、ひとつは「指導する講師の側が演奏系で『曲の楽譜は出来上がっているもの/与えられた楽譜どおりに演奏するのが演奏者の立場』と思っていて、曲の或る箇所を指摘して別案を提示したり楽譜に手直しを加えたりする習慣がなく、いざ生徒が曲を作って持って来ると『とくに言うことない』気持ちになってしまう」ような場合。もうひとつは「生徒がたいしてコード進行も和声も楽器編成も学んでいない段階で、満悦して有頂天の気分になってしまう」ような場合です)。
 2.「自分で曲を作れば著作権を握って大もうけ、一攫千金だって可能かも」と言って、曲作りよりももうけ話ばかりに関心を集めるような教室。(→これは歌謡ポップスで作曲家としての実績がある人が、ベンチャービジネスに関心のある人々を対象に「知的財産権としての著作権はメリットがある」などという面を偏重して説くような場合)。
 3.「曲を作るには、作曲する本人がまず、自分で思いついた曲想を、正しい音の高さや音の長さやリズムで楽譜に書いたり弾いたり歌ったりできる必要がある」との認識が不足したまま、受講者の作曲能力を伸ばすよりは「アプリや編曲者の助力があれば、楽譜の読み書きも歌唱や楽器演奏もできなくたって、コード進行も和声も知らなくたって、作曲者になるのはすぐ簡単」と安易にすすめる教室。(→これは
編曲仕事を多く手がけてきた指導者講師が「生徒の作曲能力を伸ばし育てるための例示」という範囲を超えて、「生徒をお客様と見なしてサービス精神旺盛に作編曲を手伝うか編曲仕事と割り切り、生徒がそれに依存していつまでも初級レベルのままなのに『自分は作曲ができる』と勘違いし、中級レベル以上へは育ちにくい」ような場合です。生徒がぼちぼち習作するのを、じれったいと思わずに、生徒が理解し作れるようになるペースで見守ってあげるのも講師の仕事です。「ちょっとしたメロディーでも思いつけば、あとはかっこいい曲に仕上げる手間は編曲家にお任せ」なんて掲げて生徒集めしちゃうと、このNGにひっかかりやすいので、弊舎では「勉強するつもりで来てください」と掲げています)。
 .「指導者講師が、生徒の作って持ってきた曲に対し『これはいい、これはダメ』と判断・評価や感想は言うが、『なぜその箇所は手直しする必要があるのか/この作例とあの作例ではどのように出来が異なり、この作例のほうが好ましいとされているのか』といった説明が足りなくて、『たんに個人的な好みを押し付けているだけではないか』と生徒が納得できず、学ぶというよりは『なんだかよくわからないけど従うしかない』ような気持になる」といった指導をする教室。(→講師の立場としては、「生徒が中習段階を超えて各自得意な作風や書法を追求するようになれば、ひとつひとつの説明にそんなに手間をかけなくても、好みもあるから任せておけばいい」という状態にはなります。むしろ「いつまでも『先生、これでいいですか』なんて仕上げの判断を委ねていないで、いい出来か自分で判断できるようにめざせ」というのが、中習段階以上の課題認識になります。が、それ以前の初級〜中級の生徒に対してはまず、音楽理論や作曲技法や楽器編成など説明する事柄は多いものです。「自分が曲を作れる」だけでなく、「生徒へ曲作りの方法を説明して指導する」という教育的スキルも必要です)。
 上記1〜4のNGは、すでに20世紀後半(1970〜90年代)には「安易にやってみようとしたら、そんなに安易にできるもんじゃないとわかった」と認識されたことです(‥世の中には「音楽を学ぶなら作曲教室へ行きたい」と思う人々は少なからずいるのだけれど、このNGが「世間に作曲教室が少ないワケ」でもある)ので、同じような轍を踏まないようにしましょう。『奨励していいこと』と『好ましくないこと』ぐらいの認識は持ちたいものです。
(ちなみに4についてですが、たとえばもし「中習段階を超えたメンバーを"渡利辺派の作曲家"としてかかえてプロダクションのような組織にし、『"渡利辺派の作曲家"と名乗るからには、このような書法と作風のこういう仕上がりの曲でなければならない』との姿勢でチーフクリエイターとして指示し、出来ばえをチェックする必要がある」というなら、経験豊富に実績を重ねたメンバーへも「所属するからには『先生、これでいいですか』とお伺いは立ててくださいね」と言うことにはなるでしょう。ですが、「下手の横好きっぽい人もいれば、独学からの駆け込みでもけっこう上手い人もいるし、音楽学校へ進学するならできれば作曲コース希望で作曲の素質があれば伸ばして進路相談に応じてほしいと思ってる若者も、子供連れで来て楽典から勉強したい人も、学び始めたらひょっとして作詞の才能に気付く人もいるかもしれない」との門戸を開いた気軽な趣味の曲作り教室で、好きずきに「ウエディングソングやまごころソングのちょっとしたバンド曲を作って、ライブしたりユーチューブで公表できたらうれしいな」という受講者の人たちへ、初級中級段階からそこまでクリエイティヴな追求精神や所属意識を持ってもらって掌握する必要はないと思われます)。
 なお当ホームページでは、受講レベルについては「初級〜中級〜上級」と記しましたが、おおむね上級以上でありながら「音楽理論や作曲技法に習熟して自分の作風を確立しようと腕磨きしている」レベルの人を(見習い〜中習〜熟練の)"中習段階"といった記述をしています。ゆえに、「中級=中習段階」ではありません。
余談:歌の曲を聴く際に、歌詞を聴く人は賢いけど、メロディーを聴く人はバカ‥なんてことはない、という話。
 先日(2017年10月25日21時)フジテレビ系のさんまさんが司会を務めるトークバラエティ番組『ホンマでっか!?TV』で、「歌を聴く際、みなさんはメロディーのほうをよく聴くか/歌詞のほうをよく聴くか」との話題でやっていて、「調べてみたらメロディーのほうをよく聴く派が7割なんだそうです」と放送されていました。それはいいんですが、そのトークの際に心理学者のコメンテーターの先生が「メロディーばかり聴いてるのはバカのやること」みたいなことを言ったので、「『主旋律のメロディーを聴きながら同時に、ベースの副旋律ラインもコード進行も、各楽器の編成の音量バランスも聴いていない心理学者が、他の人々もみなそのような聴きかたしかしていない‥という前提でコメントしたって、ちょっと違うんじゃないか』と思ってる人は音楽業界には大勢いるよ」と言い返したい気持ちになりました(笑)。
 「歌の曲は、歌手が歌詞付きで歌うから、その横で弾いてるギターの繊細な上手さや、ベースが低音でもかっこよくスゴ技で粋がった‥とかいうことはすっかり聴きのがして、歌詞ばかり聴くような聴きかたをする人々が3割はいるらしい。『そういう聴きかたをするよりも、歌詞の内容やメッセージ性が強いから、ついつい歌詞を聴いてしまう』というほどの歌詞の曲は意外と少なく、『たわいもない内容の歌詞に感情移入してみたからといって、次々に曲を聴けば前の曲の歌詞など印象にも残らない』程度の歌詞の曲は雑多に多い(しかもその番組で言われていたのは『近ごろでは歌詞を覚えて歌わなくてもカラオケでは歌詞が画面表示されるので、とくに歌詞は覚えてない‥という人が増えている』とのことらしい)。あの心理学の先生も、だんだんにソルフェージュのトレーニングを積み重ねていけば、器楽曲を聴く際にもたんにくつろいだ気分でなく、クラシックの合奏重奏やジャズバンドのセッションを、明晰にエキサイティングな気持ちで聴く人々の気持ちに共感できるようになるかもしれない。そうすれば『メロディーを聴きたがるのはバカじゃない』と考えが変わるかもしれないのに‥」って思うでしょう? 「論理的思考能力が退屈するような素朴な歌詞の言葉に、おぼろげに反応してボーッとした気分になり、とりとめなく思い出にひたって泣いりすると、ギターがどんなに上手かろうと歌手の精妙なビブラートが美しかろうと音楽をちゃんと聴いていない。それよりも、上手さがわかる聴きかた、論理的思考能力が活性化して賢い気分になる楽曲の聴きかたってのはある。少なくとも歌う人や楽器演奏する人たちは、泣いたりなんかせず練習し腕磨きしてきて、上手さをわかってほしいとは思ってる」っていうのは、こちらのサイトではもう10年以上前から説き続けていることで、「楽典は音楽のリテラシーだ」といった説明の仕方をすればわかってもらえるかなあ‥と説明の仕方の工夫もしています。
(心理学者の先生は生理学者と組んで、「涙がこぼれる音楽は感動的だ‥という人たち」と「うぶ毛が逆立つ音楽は感動的だ‥という人たち」とがそれぞれ、どのような音楽を聴いた際に感動して自分の意思ではコントロールしきれず「涙がこぼれる/うぶ毛が逆立つ」のか、"涙派"と"うぶ毛派"はそれぞれ音楽への素晴らしさの期待感がどう異なるか、‥といったことを研究すると興味深いかもしれません)。
 心理学者の言うことって説得力あるから、視聴者は素直に「そう言われればそうなんだ。それが正しい認識なんだ」と思っちゃう‥けど、必ずしもそうじゃない場合はあります。ああいう話題でトークセッションする場合は、さんまさんやタレントさん+お笑い芸人さん+心理学者の先生だけでコメントを言い合うんじゃなく、音楽業界人(サウンドクリエーターや作編曲家や指揮者など音楽の聴きかたについてちゃんとしたコメントを言える人)もコメンテーターに加わるべきだったろう‥と思いました。
人間の精神的成長について。
芸術で精神修養する道は、
競争心を超えた心の豊かさで、
美しい表現力を、軽やかに。

 筆者は20代半ばのある日、「ライバルへの勝ち気というのは、頑張る気力や向上心の原動力になる時期もあるが、基本的にはライバル心をバネにして湧いてくるヤル気というのは、そもそも動機が不純だから、それ以上に持久力と精神力を持って達人の域まで頑張りたい…と思ったら、むしろ勝ち気を原動力に頑張るような習慣は、求道精神と精神的成長の妨げになる」と気づきました。やる気はわいてきても、葛藤や矛盾でゴタゴタするようなライバル心や競争原理は、動機が不純なのだ…と。スポーツでは競争や勝負抜きでは成り立たないような種目が大半ですが、音楽では競争や勝負が必要不可欠というわけでもないのです。(もともと勝ち気の素質が強い人が、(勝ち抜き戦の勝負ごとやスポーツのようなモチベーションに触発されてか)とにかく「自分が勝ち続けて、自分こそが、自分だけが最強の勝者となるにふさわしいと信じてめざすことに、迷いも疑問も持たず孤高であれ」と徹底した勝ち気クセを付けられ、それで(コンクールなどで)勝ち抜いてすっかり勝ち誇ったりすると「周囲はみんな(仲間ではなく)議論もせず言いなりで指示待ちの従者ばかり、その外側にはやっかみや挫折感だらけ」なんて状態もイヤですし、頑張るパワーを必要とする際には「ムリにでも勝ち気を再奮起するのが習慣で、くやしさをバネにするような心境へ仕向けたり、他者を競争相手と思い込んで、動機の不純な元気をしぼり出す」なんて状態も迷惑でイヤです。退屈でなく、敵対でなく、雑多でなく、散漫でなく、和気あいあい‥をめざしたいものです。バロック期のコンチェルトグロッソ、ラヴェルのボレロ、ヒンデミットの各種楽器の器楽曲、アドリブセッションを好むジャズバンド‥などなど、「それぞれの演奏者にちゃんと自分の得意技を活かせる聴かせどころがあって、各々が芸術を追求する人間として互いを尊重し合いながら協調し、仲間意識をもって調和的な音楽を演るのは楽しい」といったやり方ができる‥その際、「勝負ごとは音楽にとって必ずしも必要不可欠な要素ではない」と言えるから、音楽ってのは心ほがらかに楽しみやすい‥ということも考えてみましょう)。
 競争心は、創造的な表現意欲や技磨きを伸ばすように作用するよりは、妨げや弊害として作用することが少なくないので、できればクセにならない程度に避けるほうがいいのです。(そうは言っても、若い時期は競い合いたいのが人間ですもんね。熾烈な勝ち抜き競争激化で、人生観や職業観に奇妙なクセが付きませんように。その反動で、たまに「上手かろうと下手であろうとなんだってかまわない」みたいな価値観がブームになっても、ブレた価値観の軸が「やっぱり上手いほうがいい」へ戻るのを気長に待ちながら、腕磨きを続けられますように。腕磨きしてきてだんだん上手さがわかるようになってきた‥という人々がじわじわ増える方向へ、そうやって増えた"上手さがわかりかけてきた人々"が「素晴らしい、芸術的価値がある」と認めて支持するにつれ、うれしい共感が(いっぺんに拡散するのではなく)少しずつ拡がってつながっていくような方向へ、いい出来の曲作りをめざしましょう)。
自分も栄えたいと願っているし、周囲もみんなで栄えようと志向するからこそちゃんとこまめに説明努力している気持ち、わかるかなあ。説明するのは、(バトルで議論するためというよりは)「相手と理解を通じ合わせ、我々はどのような状況において何をするのが好ましいか‥の合意を探り、相手は何をしようとしているのかを認識し、自分は自分のできることを明瞭に認識して、前向きにものごとを進めるため」です。(ついでに「無駄な戦いの攻防へ無駄づかいするよりも、できれば世の中が平和で『文化芸術へと予算を有効活用する』ほうが、税金の無駄づかいにならない、未来へ活かせる‥とは、みんなが知っていることです。『医療・福祉や国防・治安維持などに予算が必要』というのはわかりきってることだとして、『だからといって文化芸術の予算を削減しよう』なんて言い分はおかしい。文化芸術予算が削減され、旧作の楽曲の使いまわしが多くなって未来への飛躍的な発案がしにくく先細りするよりも、クリエイティヴに発展性ある考え方で新作の楽曲を作って市場規模拡大をめざすほうが、仲間意識も前向きに力を合わせて将来へのやりがいを感じられます。Wワークや兼業でも文化芸術に頑張っている人たちは大勢いる(‥むしろ40代以上でしぶとく音楽活動続けている人たちの大半は兼業)というのに、無理解なしわ寄せが来ませんように。新作の力作力演を推進し、上手くて素晴らしい将来性を期待する機運が盛り上がり文化芸術が繁栄しますように」と書き添えておきます)。
 仕事は「将来実現したい展望への共通認識とやりがいがあって、協力し合えば将来への期待で盛り上がるし、楽しいから頑張る気力が湧いてくる」ほうが、ありったけの能力を発揮できるのであって、パワーがわいてくるのは(勝ち気よりも)まず「やりがい重視!」と心得ることが大切だと思っています。
 付記:「やりがいを長続きさせるにはどうすればいいか?」とのご質問に対するお答え。「なんとなくストレス解消しようと瞑想したりするのではなく、やりがいを感じにくく阻んでいるのは何か‥を探り、それを『あきらめる理由の言い訳』にしてしまわずに、『だからといってやらない理由にはならない』とキッパリ意志を立て直し、『やってよかった!やりがいがある』と心から思える方向へ進められるよう対策を考えて前へ進む」ことで、(くやしさや反骨精神や意地っ張りの根性をパワーの源にしなくても)できるだけ協調的な成り行きを好みながら長続きできます。必要とされる対応や対策は次々にあるし、先達がやり残した仕事もいっぱいあるし、それらを知らんぷりしないで今の時代なりのやり方で前へ進もうと思えばマンネリ化なんかしないのです。(こんなふうに書くと「宿題やってこなかったときに『言い訳にはならない』と言われて怒られたりしないかな」‥なんて、心配しないでね。だって「ノリ気にならないときにムリして曲作りしようとするな」って方針なんですもの。めざすは「ちゃんとノリ気になったときに『いい曲作れそうだ』と感じながら(いい曲作れそうなときにはどんな感じがするか‥を自分の感性で確かめながら)、曲を作ること」→そして、できれば「曲を作ろうと思った際には、精神集中してノリ気がわいてくるようになること」。ヤル気になれることをちゃんとやって、クリエイター/アーティスト気質の心意気で筋を通すこともたいせつだと思います)。
単純に「勝つことがやりがいであり目標だ」などと思えるのは、せいぜい30代まで。(他人と比較して)「他人に勝つ」とか(比較することへの関心は薄れているのにそれでも勝つことにはこだわって)「自分に勝つ」とか思うよりも、「以前よりもっと素晴らしくできるようになろう」と素直に思うほうが調和的に志向でき感性がすくすく伸びます。やりがいが長続きしそうでしょ。
熟年世代が、若い世代の脇で遠慮がちにではなく、胸を張って「熟年ならではの匠」をめざしていい、社会的フィールドの居場所がちゃんとあるといいね‥という話。
高齢化社会の多人口世代が「熟年になったら体力も衰えてくるし、年金暮らしで世の中とのかかわりが(研究開発や生産や流通発信側よりも)消費活動中心になりがちか、社会福祉のお世話になったり奉仕活動で社会へ恩返しするか、大人しい投資家でいるか‥ぐらいだよね」との考えにみんなでぞろぞろ走るよりも、若者〜壮年現役世代のおじゃまにならない社会的フィールドで、それなりに現役で仕事を営んでいけるような考え方を持つことは、若い世代の将来へ希望を与えることにもなると思います。鋭敏な頭脳、疲れを知らない体力‥で壮年期を闊歩してきた人々が、熟年になって喧噪の世俗とは一線を引き、好々爺や知恵袋豊富なおばあちゃまになって、芸術の求道精神や匠の技への造詣を深くする‥というのは、昔からよくあることだったのです。が、20世紀後半からのこの半世紀余り、ちょっと忘れられていた人生観だったかもしれません。
 実際、この世の中「30代で現役引退する仕事は、30代後半から年金が支給される」なんて社会制度にはなっていないのですから、40代以上もちゃんと仕事をできるフィールドがあってこその安定した業界です。「30代を超えて、
40代からのセカンドキャリアをしっかり持てる社会にしよう。60代定年の時期を超えて、熟年ならではの誇りと人生経験を豊かに仕事に活かせる社会にしよう(‥いわば定年後も、"60〜80代のサードキャリア"も追求しやすく意欲的に働けるような世の中にする‥熟年なりにできる働き方で意欲的になれる職種を増やすことを推進)」というのは、国の社会政策としても審議され、2017年度以後施策推進されていく見込みだそうです。熟年世代でも向上心や鍛錬で快活な精神力を持ってできる仕事を、文化芸術面で増やしていければ、若い世代も「老後になってやりたい仕事」の希望の選択肢が増えていいですね。
 エンタメ系音楽業界が「30代までが活動のピーク。パーッと華やかな青春の思い出でいい。レビューやアイドルにドキドキワクワクしながら共感したい‥という人間の欲求は、永遠に不滅です」との立場をとるなら、「40代以上になったら、中高年に支持される芸術系の音楽業界がある。匠の技や求道精神への価値観が強い人は、中高年からの芸術活動がいよいよ力の見せどころだ」と信念をもって言える‥そういうシニアにとって居心地いい業界フィールドも、ご長寿高齢化社会には強いニーズがあると思います。若者世代に遠慮せずともおジャマにならず、「若者世代に君臨して大御所扱いされるのでなければ居続けられない」みたいな状態でもなく、「シニアといえば懐メロが定番」みたいな決めつけられ方もせず、「20〜30代はよく知らないだろうけど、60代の熱心な音楽マニアの間で今人気の演奏家や話題の曲はコレ」‥と、熟年は熟年なりに好きに盛り上げっていいような。実力に磨きがかかる壮年期、熟達した中高年が、誇りを感じて音楽に取り組んでいけるフィールドがちゃんとあっていいと思います。
20代30代もメディア世代であるけれど、40代50代もメディア世代、60代70代もメディア世代である、‥それぞれの世代が個性とプライドを持って表現活動を追求していこうとする際、世代間ギャップがプライドのぶつかり合いで"いい歳して互いに反抗期"みたいな状態にならないためには、穏やかで柔和な「ものの言いかた」を心がけ、説明をちゃんと理解し合えるコミュニケーションの仕方を習慣にするといいみたいです。
もしも‥との、極端な未来的仮想のエンターテイメントの話ではありますが、「人工知能がどんどん進化して、楽曲はコンピュータが自動制作して市場に供給し、歌手もボーカロイド、楽器のバンドもアンサンブル楽団もシンセサイザー、人間は市場で販売されているそれらの楽曲ファイルを購入して聴く消費者の立場」‥なぁんて未来社会が、仮に訪れたとしても、やたら驚くほどのことではありません。もし「文芸賞でも文才を発揮した人工知能が作詞担当し、メロディーも伴奏も人工知能で作編曲して、演奏はボカロとシンセ‥の期待の新曲が出現」となれば、世間の話題にもなり、たとえ一過性であっても好奇心を誘われる人々は大勢いることは予想できます。そうした新ジャンルをめざしている理工系エンジニア・ディレクターの人たちも、世の中には存在するでしょうし、その際「人間は、受け身の聴衆や消費者の立場でいいのだろうか」ということも「基本的人権の範囲」についてもたぶん議論されるはずです。(人工知能を持つ人形型ロボットにも「"基本的人格創造隣接権に伴う基本的人権"のような権利を認めたうえで、そうした人形型ロボットが楽曲を著作した際には、その人形型ロボットとそのロボット設計製作者が、共同して作ったその楽曲の著作権を持つ‥ということにするか」なんて議論はなかなか簡単ではなく、ボカロ好きの皆さんがいつかそうした法律制定が国会で議論されて可決され施行されるのを待ちながらおじいさん/おばあさんになったとしても、簡単に結論には至れないような事柄でしょう。だから、「生まれ変わったら機械類やロボットになりたい‥なんて考えは持たないほうがいい。生まれ変わりたいなら、基本的人権を持っていることが確実である"人類"に生まれ変わろうと思うほうがいい」とは付記しておきます。
 なお、コンピュータメディアが網羅され発達した社会において、それぞれの人間が自分で物事をちゃんと考える思考力を持つことはとてもたいせつです。しっかりした思考力を持とうと思ったら、「自分が知っている情報のほとんどすべてはコンピュータメディアを通じて知ったり学んだことばかり」というのは個々の人間にとって好ましいとは言えないわけで、たとえば音楽に関して言うなら「楽典や音響学の知識を初めて知ったのもDTM/MIDIアプリを通じて‥だったし、ギターやサックスやドラムなど管弦打楽器にはさまざまな種類の楽器や音色の相違があるのを知ったのも、ピアノの鍵盤の並びを覚えたのも、DTM/MIDIアプリを通じてだった。楽器を弾く練習も、伴奏付けやメロディー作りも誰か他の人からレッスンで学んだということはなく、独学独習。習作してみた曲も、近頃人気のヒット曲も、自分がよく聴く好みの曲も、全てコンピュータの楽曲ファイルでコレクション」という場合、ご自分の好む音楽の根拠のほとんど全てがコンピュータメディアに依存するような状態に偏り過ぎです。経験を経て思考力を持ち、自分は自分の作風や芸風を表現しようと思えば、その偏り過ぎ状態は「個性的であろうとしながらも、他者と同じような没個性的横並び状態にならざるを得ないのではないか」と気付くことでしょう。「コンピュータとネットが全ての情報を教えてくれるから、独学独習で充分‥との考えに偏り過ぎないように」というのは、そういうわけです。(人間の職業名を、機械やアプリの名称として名付けた機械装置類やアプリケーションソフト類は、人間がそうした依存状態にならないための配慮が未だ充分だとは思われないので、とりあえずは敬遠するほうが無難かもしれません。弊舎が「DTMの楽器音色は、リアルに演奏しようとすれば、ピアノ音色はピアノを、ギター音色はギターを‥とその楽器を実演することを想定すればいいので、曲作りに用いていいでしょう」とは言うものの、「歌唱を想定したボーカロイドで歌の曲作り」に現状ではあまり積極的になれないのは、「怖いもの知らずのチャレンジ精神でボカロアプリを開発した技術者の人たちは、ハマらず耽溺せず混乱せず無難で安全に世の中へ出して音楽好きの人たちに用いてもらって大丈夫‥だと確信できる段階まで至った状態で、そのアプリは製造市販されているのかな」ということへの安心感があまり充分ではなさそうだからです。ゆえに、弊舎ではボカロアプリの導入を奨励しているわけではありませんが、弊舎とは関係ない所でボカロアプリを用いたい人がいても拒んで禁ずるわけでなく「関与しない」とのスタンスです)。
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 もしも‥ですが、「機械が自動で機械的に作詞や作曲編曲するから、作詞家も作曲家も編曲家ももう要らない。DTMアプリで楽器音は出せるから楽器奏者ももう要らない。歌唱はボカロアプリがあるから歌手ももう要らない。楽譜も要らない、楽器も要らない、人間は消費者として聴けばいいだけ」などといった極端に偏った方向で文化的社会動向が扇動されるようなことがあれば、その際には「クラシックもロックもジャズもボサノヴァも歌謡ポップスも演歌も伝統邦楽も、ジャンルの垣根など超えて『人間の、人間による、人間のための音楽』を推進しようとする巨大派は、みんなで結束してお友だち!」となるであろうことを、理工系の方々へ多少の警告を込めて書き添えておきます。(2017年1月20日)。
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 たとえば「人間が楽曲を作るのは『作曲』という。人工知能や機械装置が自動的に楽曲を作るのは『合成造曲』という」「自分が作曲の知識とテクニックと表現力を持って楽曲を作るわけではなく、プロデュースやマネジメントする人のことを『作曲家/作曲者』とはいわない」などとして、『作曲』の概念が著作権の解釈においても混乱しないように、ちゃんとした認識で打合せしたり語り合ったりできるようにすることが必要な時代です。音楽業界的には、「一般リスナーの気持ちに精通して歌詞を書ける作詞者」だけでなく、「音楽理論や作曲技法を解説できる人」も「音楽史や様々なジャンルの音楽の特質を解説できる人」や「音響学と楽器や機械装置の構造を解説できる人」や「音楽社会学やメディア論の考え方と業界の仕組みを解説したり議論できる音楽ジャーナリスト」も、そして「ちゃんと正しく認識し理解してさしつかえない音楽用語や音響用語の造語作成者」も必要とされている時代なのです。MIDI 用語や MIDI 機器/アプリの取扱説明書には、用語の定義づけが充分に検討されておらず「その用語はこういう意味だ」と信じすぎてはいけない用語が多々あるのも、造語の必要性の一端です。
 「世の中、高度に機械やメディアが発達すれば、人間たちは単純作業や受け身の立場から解放され、もっと創造的で表現力豊かに楽しい仕事ができるようになる」というのは、1990年代のインターネット普及黎明期からの公約です。その「もっと創造的で表現力豊かに楽しい仕事」とは?‥芸術的な仕事です。機械設計開発の専門家の一部には、「もっと創造的で表現力豊かに楽しい仕事」の行き着く先に「『機械で自動的に作曲や編曲や演奏ができる人工知能搭載のロボット』を設計開発するのが創造的で楽しい仕事だ」と思う人がいたとしても、それによって「自動作曲・自動アレンジ・自動演奏をしたがる派とは、自分は違う」という人たちが「もっと創造的で表現力豊かに楽しい仕事」を自制して粛々と大人しくしていなければならない‥なんてことはあり得ないのですから、創造的で表現力豊かに楽しく曲作りして演奏していいのです。
 世間的に「(商品の)消費が増えれば、景気は向上する」という考えよりは、「創造的で芸術的センスの能力が高まり人件費のかかる仕事が増えれば、その人件費を所得として得ながら能力を磨き伸ばせる人々が増え、経済的格差問題への改善策の一助にもなり、景気は向上する」という考え方(当初からそういう主旨だったはずで、人件費を節約できる産業を推進しようとしたわけではないでしょう)、‥すなわち「人件費をできるだけ省き、創造的でなくても一律に大量生産できる仕事を増やして、大量の商品の消費を促しても、成熟社会においてはそれほど景気は向上しない」「いきなり世界的にインターネットが普及した1990年代後半〜2010年頃の時期は、『とにかくスピード感をもって改革する必要がある』ということへ人々は躍起になった。2017年現在では『将来的にどのような世の中にしていきたいのか。その将来のためには、改革は穏健に(混乱するほど急進的でなく)じわじわと理解し合いながら適宜な賛同をもって進められていくほうがいい』と考える人々が増えているように思われる」「創造的で人件費のかかる仕事は、世のため人のため成長を推進する価値がある仕事である」との考え方で景気向上をめざしていいのではないでしょうか。
 はっきりしていることは、「我々人間は『人間が働き仕事をするほうが、機械装置だけに任せておくよりも上手くいく。人間は必ず必要』という仕事や職をつかんでいくこと」です。
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 巷の音楽教室では「JASRACへお金を払うなら、『演奏料』などという名目でお金を払いたいわけではなくて、『JASRACの職員の人が、音楽教室へわざわざ出向いてきて、著作権の知識を必要とする講師やスタッフや作編曲中習者へ対し、著作権についてまともな考えできちんと理解できるように研修してくれる』ということへお金を払いたい」。弊舎・筆者はそのように思います。
(2017年5月30日、追記)
今も昔も在り続けている技芸の課題
 「創造的で素晴らしく新しい時代を感じさせる表現力を発揮しよう!科学と技術の進化に伴って、時代的に変容していく社会状況へ、快く楽しく美しく調和可能な接点を見つけて、秀逸な作品を作り、共感と賞讃を得られるよう志そう」というのと、「情操教育で、喜怒哀楽の情緒を衝動や迷妄耽溺の不安定さに任せず、個々を尊重しながら気持ちのいい人間関係を築けるよう、心豊かで穏和で礼節あるコミュニケーションを心がけよう」というのとを、上手に精神的バランスとりながら芸術表現活動するのは、今も昔も変わらない芸術的な課題です。二者択一だと思うと、先鋭的でも奇抜で過激な表現になったり、恭順でも創造性に乏しい停滞感に飽き飽きしたりするので、上手に芸術活動しましょう。
 伝統についてひとこと付け加えるなら、「伝統というのは何もしなくても維持存続できるわけではなく、現状維持するだけでも相当の労力と費用がかかり、それだけで手いっぱいだと変化する世間との疎通や対応が後手後手になって(世間からは伝統の)存在意義さえも危ぶまれる事態になりかねないので、世間的に柔軟性を兼ね備えた伝統が、今の時代〜後世へ存続できる」ようです。たぶん、「江戸幕末期以来、『先代から受け継がれた価値観や技をそのままに、先代と同じやり方をして、現在に残り存続している伝統文化や伝統産業はほとんどない』」「いつも先代とは異なる今の時代の状況に直面して、先代とは異なる方法や応用力で、新たな解釈や新たな有用性を見いだすことに力を注ぎ、
かつて伝統の先代が経験したことのない新たな課題に応じながら、新たな未経験の多い今を生きることになる」「実例から学べるのは、過去にすでに形成された事柄や過去の産物についてであり、現在において実現力ある事象には役割担当があり、未来の予感から学べることは、未だカタチになっていない閃きの勘とともに訪れる。未来への閃きと勘は、『できるだけ好ましく平和的・協調的で、喜びや幸せを感じるように』との志向性をたいせつに思うことで、現在〜近未来を好ましく方向づけようとの願いと希望と期待が増す」ということです。
未来への永続と将来的発展を望めば、「娯楽よりも教育」との関心が高まるのは、人の世の常です。「誠実に、教える価値あることを教える教育を」と志せば、自分の得た経験則にとどまらず、「伝統」へ関心が向きます。ところが、伝統には「その昔の時代状況では、その程度にしか出来得なかったこと/および、その程度にしか出来得なくても、当時なりになんとか決着や成果に結びつけようとして無理したこと」が、しばしば「未来へ委ねたい課題」として絡みついています。しかも伝統には、無理解に対するうんざり感で「もう終わりにしよう」といった感じが付随している場合さえあります。それを、「"終わり"ではなく、"済ませて次へ、その先へ"」と前向きに意欲とやる気を奮い、未来への永続と将来的発展を望めるようにしていくのです。「伝統は不変不滅」というよりはむしろ、「伝統は不変と可変を柔軟に伴えれば不滅」です。伝統のエキスは、「今の時代状況においてならやっと出来るようになったこと」に応じて、解きほぐして再び新鮮で柔軟な智慧にして、わかるように未来へ伝えていく‥「直伝:世代を超えて人から人へと伝える教育」は、それゆえ知識の継承だけでなく教える側と教わる側との間で解釈や理解の度合いに柔軟性があり、信頼関係や精神修養をたいせつにするのです。
「闘争を超越した友好的なスポーツ」や、「激情を超越した音楽表現活動」は、平和的で豊かな文化的社会にほどよく快適な調和をもたらすよう作用します。